トラックメイキング備忘録

トラックメイキングについて

そもそもヒップホップって何?

HIPHOP系トラックを作るにあたって、そもそもHIPHOPって何?というところを押さえておかなければと思いwikiで調べてきました。

 

ヒップホップは、1970年代にニューヨークのブロンクス地区で開かれたブロック・パーティーにルーツのある、音楽・ダンス・ファッションを中心とする黒人文化である。80年代には、ヒップホップには三大要素があると言われていた。DJ、ブレイクダンス、グラフィティがその構成要素である。しかし現在では、ミュージシャンとしてのMCを加えた四大要素と言われている。ヒップは、とんでいる、ホップは跳躍するなどの意味がある。

ライターのスティーヴ・ヘイガーは、アフリカ・バンバータの、ラップ音楽やブレイクダンス、グラフィティ・アートを含めた黒人文化をヒップホップとした発言は、ヴィレッジ・ヴォイスで最初に活字になったものであると主張している。

 

70年代に始まったということは、HIPHOPの歴史は60年近く?

4大要素

 ・DJ

    ・グラフィティ

 ・ブレイクダンス

 ・MC

 

アフリカ・バンバータ

 

 

単に「ヒップホップ」と呼んだ場合、サンプリングや打ち込みのバックトラックに、MCによるラップを乗せた音楽を指すことがあるが、これらはヒップホップ・ミュージックあるいはラップ・ミュージックと呼ぶのが正しい。これに「ブレイクダンス」と「グラフィティ」などを加えたものが本来のヒップホップである。ヒップホップにおいて、ラップ(MC)、DJプレイ、ブレイクダンス、グラフィティは四大要素と呼ばれる。

これらはアメリカのストリートギャング文化とも関係があるといわれ、抗争を無血に終わらせるために、銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップの優劣が争われた。ラップ、DJプレイ、ブレイクダンスには、フリースタイル・バトルと呼ばれる対決方式も存在する。その後、発祥地アメリカだけにとどまらず、ブレイクダンスを踊ったり、グラフィティをアートとしてとらえたり、ファッションにも影響を及ぼすなど、ヒップホップ文化は、欧米、日本をはじめ世界各国に広まった。

これにアフリカ・バンバータが加えた「知識」までを五大要素、さらにKRS・ワンが提唱した「ビートボックス」とストリート文化「言語」、「服装」、「起業精神」を含むと九大要素と呼ばれる。

 

九大要素

    ・ラップ(MC)

 ・DJプレイ

 ・ブレイクダンス

 ・グラフィティ

       ・知識

         ・ビートボックス

      ・言語

      ・服装

      ・起業精神

 

 

起源については諸説有るが、一般的に1970年代に生まれ、クール・ハーク(ブレイクビーツの発明者)、グランドマスター・フラッシュ(スクラッチ技術を普及)、アフリカ・バンバータ(ヒップホップという言葉の生みの親)らのDJたちの活躍によって、それまでのブロック・パーティを超えた音楽として広がり始めた。

 

 

ブロックパーティとは

ブロックパーティ(英語: Block Party)とは、1つの街区の住民たちが大切な行事を執り行うために集まる大きな地域のお祝い、祭。通例では,音楽を演奏したりダンスを踊ったりして執り行われる。

ブロックパーティは、1970年代のアメリカで人気が高まった。ブロックパーティは野外で挙行されることが多く、DJのサウンドシステムの電源は、街灯から非合法に引かれた。KRS・ワンの「サウスブロンクス」という作品の中で、「街灯から引く電源、暗闇に包まれる周辺。誰もそんなん気にせえへん。宴の代わりに、街、停電(Power from a street light made the place dark. But yo, they didn't care, they turned it out.)」と、ブロックパーティの様子がMCされているのが有名である。都市部で行われているブロックパーティの多くは、非合法な営みである。彼(女)らの言葉では、これを「たむろする(loitering)」と言う。しかしながら、警察はブロックパーティを大目に見ている。なぜならば、警察は街区の全ての住人が一堂に会せば、どこかで罪が犯される可能性が減ると考えているからである。郊外では、ブロックパーティは、独立記念日や労働者の日のような祝日に開催されることが多い。あるいは稀に、新しい家族が地域に引っ越して来たり、人気の映画が上映開始を迎えたりすると、「わが街にようこそ」のような看板を掲げブロックパーティを開くこともある。このようなブロックパーティでは、バーベキュー、野外ゲーム、集団ダンスなどが行われることが多い。ブロックパーティという言葉は、ビーチパーティという言葉に関係する言葉である。またストリートパーティという言葉が同意語として用いられている。

 

クール・ハーク

 

 

グランドマスター・フラッシュ

 

 

曲調やダンス、ファッションなどのスタイルを、それぞれオールド・スクール(Old School、1970年代末 - 1980年代初頭)、ニュー・スクール(New School, 1990年代以降)と呼ぶ。オールド・スクールのラッパーにはグランドマスター・フラッシュ、トリーチャラス・スリー、スーパー・ウルフらがいた。1980年代後期 - 1990年代前期はラップの全盛期だったことから、特にゴールデンエイジ・ヒップホップと呼ばれる場合もある。日本では80年代半ばのラップをミドル・スクール(Middle School)と表現することがある。ミドル・スクールのラッパーには、Run-D.M.C、LLクールJ、UTFO、フーディニらがいた。

 

オールド・スクール:1970年代末 - 1980年代初頭

トリーチャラス・スリー

 

 

スーパー・ウルフ

 

ミドル・スクール:1980年代半ば

Run-D.M.C

 

LLクールJ

 

UTFO

 

フーディニ

 

 

ニュー・スクール:1990年代以降

 

パブリック・エナミーやBDPのアルバムは、社会的意識の萌芽を予感させた。1980年代、ヒップホップは、ビートボックスのボーカルパーカッションテクニックを介して、人体を使用したリズムの作成も受け入れた。先駆者はダグ・E・フレッシュだった。ダグ・E・フレッシュやビズ・マーキーは、自身の口と声、他の身体の部分を使用してビート、リズムを創造した。これらは「ヒューマンビートボックス」と呼ばれ、このジャンルのアーティストは、ターンテーブリズムのスクラッチやその他の楽器の音を歌ったり楽器の音を模倣したりした。

 

パブリック・エナミー

 

BDP

 

ダグ・E・フレッシュ

 

ビズ・マーキー

 

今日はここまで。続きは近々。