トラックメイキング備忘録

トラックメイキングについて

ビートメイク

4つ打ちがハウスとテクノの基本。

 

1990年前後は、多くのハウスクリエイターがROLAND TR-909でビートを作っていたらしい。

 

TR-909

TR-909とは、電子楽器専門メーカーであるローランドが80年代前半に発売したドラムマシン。1983年から1984年にかけて製造され、製造台数は10,000台。当時の価格は189,000円だった。

 

それまでリリースされていたローランド・TR-808の後継機にあたり、全面的な音色リファインとMIDI規格への対応、シャッフル/フラムクォンタイズ機能の追加など、さまざまな新機能が盛り込まれた内容となっている。  

発売当時は20万円弱と高価だった事と、後述する時勢的な理由なども重なり、ブレイクするところまでは至らなかったが、1980年代後半から1990年代以降にハウスやテクノなどのダンスミュージックが打ち込みで作られるようになってから、独自の押しの強いサウンドが世界中で使われるようになる。

 発売当時の時勢はドラムマシンがさらに生ドラムの音に近づこうとしていた時期であり、それまでのアナログ回路のチューニングでドラム音をシミュレートした方式から、生音をサンプリングすることで、よりリアルなドラム音の再現を可能としたPCM方式へと主流が移りつつあった頃である。

909はまさにその過渡期に位置する内容であり、バスドラムやタムなどの皮モノ系は808をリファインしたアナログ回路で構成され、ハイハットやシンバルなどの金モノ系は6bitサンプリングのPCM方式を採用した。ローランドTRシリーズの完全PCM化は909に続くTR-707まで持ち越される事となった。  909の発売当時はリアリティという観点においてとにかく評価が低く、楽器店でも投売りが続くという散々な扱いであったが、のちにデトロイトの黒人達によってその個性的な音と優れた機能が『発掘』され、おなじくシカゴに飛び火し、瞬く間にテクノ/ハウス界の代名詞的名機として、一躍高い評価を受ける事となった。  

労働階級の黒人達が限られた資金のなかで自分の音楽を作り出すには自宅録音が手っ取り早い方法であった。当然そこで購入する機材も最新のものではなく、中古で当時はゴミ同然の扱いを受けていた909へと白羽の矢が立ったのだという。その過程の中で、909本来が持っていた優れた機能と可能性を彼らが見出し、引き出して行くこととなる。黎明期のテクノ/ハウスの発展は、このマシンなくして語れず、まさに909がそれらのシーンの礎を築いたといっても過言ではない。生っぽくなりきれなかったその個性的な音がシーンを作り出したという、独自の音を作るのが目的であるシンセサイザーらしい現象となった。

 デトロイトテクノとシカゴハウスの因果関係は諸説あるが、少なくとも909に関してはデトロイト→シカゴの順序で浸透していった事は確かなようである。当初よりクラフトワークやジャーマンエクスペリメンタル等の電子音楽の方向に傾倒していたデトロイトテクノのシーンとは異なり、あくまでディスコやR&B、フィリーソウルを自宅録音の機材で再現しようとして、結果的にハウスのスタイルが出来上がって定着してしまったシカゴのシーンもそれぞれ興味深いといえる。  

同じようにメジャー音楽シーンに強烈な影響を与えた電子楽器として、ローランド製のアナログシンセサイザーのJupiter-8やベースラインTB-303ヤマハのデジタルシンセサイザーDX7などがある。  なお、一般的に808=エレクトロ、909=ハウスの代名詞として語られる場合が多いが、実際はお互いにその限りではない。

 

「ジャンル感」の大事な要素の一つがテンポ。

ハウスのテンポは118~130BPM辺り。

テクノのテンポは124~140BPM辺り。

 

■エレクトロ

ハウスの流れから発展。

BPMは127~134辺り。

基本は4つ打ち。

 

次はベース編。

とりあえずトラックを作ってみる

とりあえずトラックを作ってみようということで、以下の本をKIndleにて入手。

2012年発売の本なので内容は古いかもだが、まずはこの本に沿って作ってみようかなと。時間がある時にちょっとずつ進めていく。

 

 

著者:Watusi(COLDFEET

 

COLDFEET(コールドフィート)は、日本の音楽ユニット、音楽プロデューサー。1998年にメジャー・デビュー。

1998年にシングル「Pussyfoot」でSMARよりデビュー。印象的なビジュアル、ドラムンベースブレイクビーツ、ハウスミュージックをベースとした独創的な音楽性を特徴とする。

LoriはゲストボーカルとしてMONDO GROSSOm-floFreeTEMPODAISHI DANCE等からオファーを受け、多くのクラブ・ヒットを生み出す。2019年8月14日、11年ぶりのオリジナル・アルバム 『Core』を発売。

 

COLDFEET

 

よく調べずにこの本買ったけど、こんな感じなのね。

 

■読書メモ

ダンスミュージックの代表的なジャンル

・ハウス

・テクノ

・エレクトロ

・ヒップホップ・R&B

ダブステップ

ドラムンベース

 

ヒップホップやR&Bは元をたどれば1960年代に形成されたムーブメント、ソウル・ミュージックに行き着く。ヒップホップとR&Bには共通点も多い。

 

最初はビート作りからみたい。

とりあえずここまで。

そもそもヒップホップって何? ③

ニュー・スクール・ラップは、80年代末から90年代初頭まで流行した。

ニュー・スクールのラッパーには、デ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエスト、リーダーズ・オブ・ザ・ニュースクールらがいた。

ファッションは、シルバーが流行した。

またサイズの大きな衣服や、バギースタイルのパンツ(大きいサイズのダブついたズボン)を選び、腰履きで着るアーティストも見られた。大きい服を着るようになったのは、大きめのサイズの服を子供に提供しておけば、成長しても買い換える必要がないことなどが原因とされている。

 

デ・ラ・ソウル

 

ア・トライブ・コールド・クエス

 

リーダーズ・オブ・ザ・ニュースクール

 

 

別なカテゴライズとして、アーティストの出身地などから、ヒップホップ発祥の地であるニューヨークなどのアメリ東海岸におけるイースト・コースト・サウンド、ロサンゼルスなどのアメリカ西海岸におけるウエスト・コースト・サウンド(ウエスト・サイド)といった、地域による分け方がある。

ニューヨークのラップは、ジャズトラックを使用した楽曲もあり、対して初期のウエスト・コースト・サウンドは、ドクター・ドレースヌープ・ドッグらを中心としたGファンクと呼ばれる、Pファンクなどをサンプリングし、シンセサイザーなどの電子音を取り入れたトラックに、ギャングスタ・ラップをのせた。

近年はサウス(南部)やミッドウエスト(中西部)と呼ばれるローカルサウンドも登場している。サウスのトラックは、バウンスビートが特徴である。ヒップホップのポピュラー化により、東海岸ギャングスタ・ラップをするものが現れた。

 

アメリ東海岸イースト・コースト・サウンド

大西洋に面する州の中でもメリーランド州以北、つまりニューイングランドの6州(メイン州ニューハンプシャー州バーモント州マサチューセッツ州ロードアイランド州コネチカット州)、中部大西洋岸の5州(ニューヨーク州ニュージャージー州ペンシルベニア州デラウェア州メリーランド州)、およびコロンビア特別区を指す。

ジャズトラックを使用した楽曲もある。

 

 

アメリカ西海岸:ウエスト・コースト・サウンド

狭義にはカリフォルニア州オレゴン州、およびワシントン州の3州を指す。

ドクター・ドレースヌープ・ドッグらを中心としたGファンクと呼ばれる、Pファンクなどをサンプリングし、シンセサイザーなどの電子音を取り入れたトラックに、ギャングスタ・ラップをのせた。

 

Dr. Dre - Still D.R.E. ft. Snoop Dogg

 

1990年代頃から東海岸を代表するディディ(パフ・ダディ)、ノトーリアス・B.I.G.擁するバッド・ボーイ・エンターテインメント(Bad Boy Entertainment)と、

西海岸を代表するドクター・ドレースヌープ・ドッグ、2パック(出身はイースト・コーストではあるが、最盛期の活動場所はウエスト)らが所属するデス・ロウ・レーベルとの対立が象徴的であるように、両海岸のアーティストたちはお互いを威嚇、中傷し合った。

それらの内容はラップの歌詞にも現れ、ギャングを巻き込んだ暴行、襲撃、発砲事件などに発展した。この東西抗争は、2パック、ノトーリアス・B.I.G.という両海岸を代表する有名ラッパーを、ともに銃撃事件で失う悲惨な結末を招いた。抗争はその後、個人間のビーフ(中傷合戦)を除いて、沈静化している。

 

アメリ東海岸イースト・コースト・サウンド

パフ・ダディ

 

ノトーリアス・B.I.G.

 

 

アメリカ西海岸:ウエスト・コースト・サウンド

2パック

そもそもヒップホップって何? ②

ミュージックビデオの登場はエンターテインメントを変えた。

「プラネットロック」のミュージックビデオは、ヒップホップミュージシャン、グラフィティアーティスト、およびB-boyのサブカルチャーを紹介した。

 

プラネットロック

 

 

1982年から1985年の間に「ワイルドスタイル」、「ビートストリート」、「クラッシュグルーブ」、ブレイクダンス、「ドキュメンタリー・スタイル・ウォーズ」など、多くのヒップホップ関連の映画が上映された。

 

映画『WILD STYLE』

 

 

映画『ビートストリート』

 

映画『クラッシュグルーブ』

 

映画『ドキュメンタリー・スタイル・ウォーズ』

 

 

1980年には、世界の若者の一部がヒップホップ文化を受け入れた。

アメリカの都市コミュニティでは、ヒップホップのファッションが流行した。

Run-D.M.C.だけでなく、アイスT、ビッグ・ダディ・ケイン、ドクター・ドレイらも愛用した ゴールドのチェーン・アクセサリーや、ジャージとスニーカーなどが見られた。その後パブリック・エネミーやKRS1のブギー・ダウン・プロダクションなどが登場した。

 

アイスT

 

 

ビッグ・ダディ・ケイン

 

ドクター・ドレ

 

 

パブリック・エネミー

 

KRS1

 

ブギー・ダウン・プロダクション

そもそもヒップホップって何?

HIPHOP系トラックを作るにあたって、そもそもHIPHOPって何?というところを押さえておかなければと思いwikiで調べてきました。

 

ヒップホップは、1970年代にニューヨークのブロンクス地区で開かれたブロック・パーティーにルーツのある、音楽・ダンス・ファッションを中心とする黒人文化である。80年代には、ヒップホップには三大要素があると言われていた。DJ、ブレイクダンス、グラフィティがその構成要素である。しかし現在では、ミュージシャンとしてのMCを加えた四大要素と言われている。ヒップは、とんでいる、ホップは跳躍するなどの意味がある。

ライターのスティーヴ・ヘイガーは、アフリカ・バンバータの、ラップ音楽やブレイクダンス、グラフィティ・アートを含めた黒人文化をヒップホップとした発言は、ヴィレッジ・ヴォイスで最初に活字になったものであると主張している。

 

70年代に始まったということは、HIPHOPの歴史は60年近く?

4大要素

 ・DJ

    ・グラフィティ

 ・ブレイクダンス

 ・MC

 

アフリカ・バンバータ

 

 

単に「ヒップホップ」と呼んだ場合、サンプリングや打ち込みのバックトラックに、MCによるラップを乗せた音楽を指すことがあるが、これらはヒップホップ・ミュージックあるいはラップ・ミュージックと呼ぶのが正しい。これに「ブレイクダンス」と「グラフィティ」などを加えたものが本来のヒップホップである。ヒップホップにおいて、ラップ(MC)、DJプレイ、ブレイクダンス、グラフィティは四大要素と呼ばれる。

これらはアメリカのストリートギャング文化とも関係があるといわれ、抗争を無血に終わらせるために、銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップの優劣が争われた。ラップ、DJプレイ、ブレイクダンスには、フリースタイル・バトルと呼ばれる対決方式も存在する。その後、発祥地アメリカだけにとどまらず、ブレイクダンスを踊ったり、グラフィティをアートとしてとらえたり、ファッションにも影響を及ぼすなど、ヒップホップ文化は、欧米、日本をはじめ世界各国に広まった。

これにアフリカ・バンバータが加えた「知識」までを五大要素、さらにKRS・ワンが提唱した「ビートボックス」とストリート文化「言語」、「服装」、「起業精神」を含むと九大要素と呼ばれる。

 

九大要素

    ・ラップ(MC)

 ・DJプレイ

 ・ブレイクダンス

 ・グラフィティ

       ・知識

         ・ビートボックス

      ・言語

      ・服装

      ・起業精神

 

 

起源については諸説有るが、一般的に1970年代に生まれ、クール・ハーク(ブレイクビーツの発明者)、グランドマスター・フラッシュ(スクラッチ技術を普及)、アフリカ・バンバータ(ヒップホップという言葉の生みの親)らのDJたちの活躍によって、それまでのブロック・パーティを超えた音楽として広がり始めた。

 

 

ブロックパーティとは

ブロックパーティ(英語: Block Party)とは、1つの街区の住民たちが大切な行事を執り行うために集まる大きな地域のお祝い、祭。通例では,音楽を演奏したりダンスを踊ったりして執り行われる。

ブロックパーティは、1970年代のアメリカで人気が高まった。ブロックパーティは野外で挙行されることが多く、DJのサウンドシステムの電源は、街灯から非合法に引かれた。KRS・ワンの「サウスブロンクス」という作品の中で、「街灯から引く電源、暗闇に包まれる周辺。誰もそんなん気にせえへん。宴の代わりに、街、停電(Power from a street light made the place dark. But yo, they didn't care, they turned it out.)」と、ブロックパーティの様子がMCされているのが有名である。都市部で行われているブロックパーティの多くは、非合法な営みである。彼(女)らの言葉では、これを「たむろする(loitering)」と言う。しかしながら、警察はブロックパーティを大目に見ている。なぜならば、警察は街区の全ての住人が一堂に会せば、どこかで罪が犯される可能性が減ると考えているからである。郊外では、ブロックパーティは、独立記念日や労働者の日のような祝日に開催されることが多い。あるいは稀に、新しい家族が地域に引っ越して来たり、人気の映画が上映開始を迎えたりすると、「わが街にようこそ」のような看板を掲げブロックパーティを開くこともある。このようなブロックパーティでは、バーベキュー、野外ゲーム、集団ダンスなどが行われることが多い。ブロックパーティという言葉は、ビーチパーティという言葉に関係する言葉である。またストリートパーティという言葉が同意語として用いられている。

 

クール・ハーク

 

 

グランドマスター・フラッシュ

 

 

曲調やダンス、ファッションなどのスタイルを、それぞれオールド・スクール(Old School、1970年代末 - 1980年代初頭)、ニュー・スクール(New School, 1990年代以降)と呼ぶ。オールド・スクールのラッパーにはグランドマスター・フラッシュ、トリーチャラス・スリー、スーパー・ウルフらがいた。1980年代後期 - 1990年代前期はラップの全盛期だったことから、特にゴールデンエイジ・ヒップホップと呼ばれる場合もある。日本では80年代半ばのラップをミドル・スクール(Middle School)と表現することがある。ミドル・スクールのラッパーには、Run-D.M.C、LLクールJ、UTFO、フーディニらがいた。

 

オールド・スクール:1970年代末 - 1980年代初頭

トリーチャラス・スリー

 

 

スーパー・ウルフ

 

ミドル・スクール:1980年代半ば

Run-D.M.C

 

LLクールJ

 

UTFO

 

フーディニ

 

 

ニュー・スクール:1990年代以降

 

パブリック・エナミーやBDPのアルバムは、社会的意識の萌芽を予感させた。1980年代、ヒップホップは、ビートボックスのボーカルパーカッションテクニックを介して、人体を使用したリズムの作成も受け入れた。先駆者はダグ・E・フレッシュだった。ダグ・E・フレッシュやビズ・マーキーは、自身の口と声、他の身体の部分を使用してビート、リズムを創造した。これらは「ヒューマンビートボックス」と呼ばれ、このジャンルのアーティストは、ターンテーブリズムのスクラッチやその他の楽器の音を歌ったり楽器の音を模倣したりした。

 

パブリック・エナミー

 

BDP

 

ダグ・E・フレッシュ

 

ビズ・マーキー

 

今日はここまで。続きは近々。

とりあえず初めてみました。

アラフォー会社員です。

久しぶりに音楽をしてみようと思い、機材は買うものの一向に製作はしてなかったので、機材の購入記録やトラックメイキングの方法などの備忘録としてブログを初めて見ました。

10代、20代ではバンドを組んでロックな楽曲を演奏していたのですが、今はHIPHOP系のトラックを作ってみたいなーと思っています。

たまーにベースも弾きます。

とりあえず、機材は一通り揃っているので、まずは作ってみないとなーって感じです。

 

■使用機材

 ・パソコン

   iMac2013

   MacBookPro2015

 ・DAW

            Cubase12

     ・Audio I/F

            RME Fireface800

      ・スピーカー

   小型自作スピーカー

            AMATERAS 9012M-[Z]

    Focal Chora 806

            BEHRINGER B2030A

   ・その他

   エレキギター

   エレキベース

           アンプ多数